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アデル、ブルーは熱い色

なぜ人はこんなにも他者の世界を理解できないのだろうか。どんなに愛し合っている恋人同士であっても、心底相手の世界を理解する、ということは不可能だ。それは当たり前のことで、誰だって自分の心のなかしかのぞくことができず、他人の気持ちなんて本当にはわからない。たとえば二人で同じ景色を見ていても、それぞれの目に見えているのはまったく違うものなのだ。

この映画のなかで、アデルはエマの世界を最後まで理解できなかった。いや、理解しようとしなかった。彼女にとってエマは、あくまで「自分の世界のなかにいるエマ」でしかない。彼女は熱く激しくエマを愛しているが、エマの世界はわからない。けれど、わからないからこそ、彼女はエマに恋をしたのだ。

自分とは異なる人間、自分とは違う世界を持っている人間を、人は求める。それが恋愛だ。

アデルとエマとの出会いは、劇的だ。出会った瞬間から、二人は互いを欲する。出会いから二人が結ばれるまでの時間はあまりに短く、ほとんど動物的に貪欲に互いの身体を求め合う。

自分の半身ともいえるような相手と運命的に出会ったアデルとエマ。二人の恋はあまりにもまばゆく、歓びに満ちている。心の底の底から他者を求め、愛し合うということ。これは人生における最大の奇跡だ。二人ともその奇跡の恋に夢中になり、のぼせあがり、飽くことなく互いの身体を求め合う。そんなふうに他人を愛し抜くこと、そして自分が愛してやまない相手から同じように激しく愛されること。それはどんな素晴らしい体験だろうか。その体験をする前と後とでは、全身の細胞が生まれ変わってまったく違う人間になっていることだろう。

この恋の描き方があまりにも鮮烈で、思わず「人生って、愛するってなんて素晴らしいのだろう!」と叫びたくなる。しかし、この映画のテーマはむしろ後半にある。恋の始まりを描く前半が素晴らしくきらめいているからこそ、二人の別離を描く後半が重く、痛く心に突き刺さる。

どんなに愛し合っていても、別れはやってくる。そのきっかけとなる出来事はアデルが作ったのかもしれないが、そういうことがなくてもいずれ二人は別れていた。

エマから別れを告げられ、家を追い出されたアデル。エマのことを心底愛しているアデルにとっては耐えがたいことだ。アデルの懇願を、エマは聞きいれようとしない。

愛する人から別れを突きつけられたアデルは悲しみにくれ、泣いてばかり。別れてから長い時間が経ってもなお、彼女はエマへの想いを断ち切れない。

あるときアデルは決意する。エマに会おうと。

待ち合わせ場所に現れたエマは、別れたときの修羅の表情は微塵もなく、穏やかにアデルに微笑みかける。エマの顔を見ただけで涙が溢れてしまうアデル。目の前に愛してやまない人がいる。エマに触れたくて触れたくて仕方がないアデルは、泣きながらエマにキスし、身体を触りながら言う。

「欲しいの。いつも。あなただけが」

切なすぎる愛の告白だ。他者を欲することの切なさ、辛さ。それが得られない絶望。私はこんなにもあなたを愛し、求めている。いつもあなただけを求めている。あなたのかわりなんて世界中探したってどこにもいない!

けれど、エマは首を振る。そして、もう愛していない、と告げるのだ。

しかしこのとき、エマもまた涙で顔をぐしょぐしょにしている。エマも心底アデルを愛していた。けれど、もうその愛はない。かつてあれほど燦然と輝いていた愛が、もうなくなってしまった!ぽっかりと大きな穴が空いてしまった。激しい喪失感。その喪失が不可避なものであったという悲劇。だからエマは泣く。

抱き合いながら涙を流す二人。別れても別れても慕わしくて、それでももう一緒にはいられない。突然訪れ、有頂天になり、長い時間をかけて育み、そして長い時間をかけて少しずつ失われていった愛。互いの存在がなければ生きていけないと、激しく愛し合った二人。けれど二人の愛の時間はもはや完全に終わり、二人はまた一人一人の世界に戻る。