読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うつし世はゆめ

旅行記ほか、日常生活で感じたことなどを徒然と。

そして父になる

「血は水よりも濃い」のか、「生みの親より育ての親」なのか──

是枝裕和監督『そして父になる』を観た。ある日突然、6年間育てていた息子が、病院で取り違えられた他人の子だとわかった二組の夫婦。6年間育てた他人の子をとるか、それとも見知らぬ自分の子をとるか──

 

福山雅治演じる野々宮良多は、大手建設会社に勤めるエリートサラリーマン。都心の高級マンションに住み、一人息子の慶多の教育にも熱心で、6歳の慶多を私立の小学校に入れようとしている。子供の将来を考えれば、それは良い選択だ。それだけの経済力も十分ある。「お受験」とかで熱心なのは普通は母親のほうだが、母親のみどり(尾野真千子)は夫に従っているだけのようだ。また、良多は慶多にピアノを習わせ、毎日レッスンさせている。確かに、子供にピアノを習わせると、頭が良くなるといわれている。楽譜を読んで指を動かすことで、指から脳に刺激が与えられ、先を読む能力が鍛えられるという。慶多はピアノはそれほどうまくはないものの、なんとか小学校受験には合格する。妻のみどりも、夫や慶多に尽くしている。夜は夫にコレストロールの高い卵を食べさせないなど、健康管理もしっかりしている。何不自由のない、セレブな家族の生活。仕事ができて収入も多く、子供の将来のこともきちんと考えてくれ、おまけにルックスもいい。セレブな生活をしたい女性にとっては、良多は最高の夫だろう。だが一方で、仕事が忙しすぎて家族との時間をとってくれないなど、妻には様々な不満があるようだ。それに良多は、自分より下の人間に対する軽蔑を隠そうとしない傲慢で自信過剰なところがある。たとえば、子供を取り違えられた斎木夫婦に対する態度がそうだ。良多はどこかで斎木を軽蔑しており、「あんな家に自分の本当の子供を任せておけない」と考えているようだ。

 

子供を取り違えられた夫婦は、前橋で小さな電器店を営む斎木雄大(リリー・フランキー)と妻のゆかり(真木よう子)の夫婦。まさに良多の家庭とは間逆な、貧乏だけどアットホームという家庭だった。そこで、良多の本当の息子は、琉晴としてのびのびと暮らしている。雄大もゆかりも教育について熱心ではないし、箸の持ち方すらもきちんと教えないなど、躾もちゃんとしているとはいいがたい。だがとにかくアットホームで、皆で一緒にお風呂に入ったり、皆で一緒に寝たりする。

 

良多ははじめて琉晴を見たとき、自分に似ているものを感じた。どこがどう似ているというのははっきりとわからない。だけど、自分の子供のころもこうだった、となんとなく思う。それが「血」というものなのか。

 

弁護士や病院側は、「こういう場合はほとんどが実の子供を育てることにして、交換するケースが多い。そのタイミングは早ければ早いほどいい」と言う。良多夫婦と斎木夫婦は、何度か子供たちを交えて会い、話し、食事し、遊ぶ。その上で、週末だけ子供を交換してみよう、ということになる。

慶多も琉晴も、なにかを察しながらも、なにも聞かない。聞けないのだろう。子供ながらに気を遣っているというのが、いじらしい。

斎木家のあっけらかんな家風に、最初は驚きながらも、リリー・フランキー扮するお茶目な父親や、ほかの小さい弟や妹がいるなかで、次第に長男として生き生きしはじめ、馴染んでくる慶多。そこではもちろんピアノのレッスンをする必要もない。ホームシックになれば、真木よう子扮するゆかりが優しく慰めてくれる。ゆかりは肝っ玉おっ母のように、3人の子供を育てるため、どっしりと「母親」として動いている。それでいてユーモアセンスもあり、茶目っ気もあり、なんかキュートなお母さんという感じ。

 

一方、野々宮夫婦に預けられた琉晴は、無機質なマンション暮らしに馴染めない。良多の躾が厳しく、箸の持ち方を直させられたり、お風呂も一人で入るよう命じられたり、ピアノをするよう命じられたり、ゲームの時間を一日どのくらいと決められたり、良多とみどりのことを「パパ」と「ママ」と呼べといわれたり。あげく、良多は琉晴が来ているほとんどの時間は仕事が入っており、みどりに任せっきりになっている。ではみどりと琉晴との間になにか親子ならではの情が生まれたのかというと、そうでもない。どうやらみどりは、琉晴を可愛く思えてしまうのは慶多に対する裏切りだ、と考えているようで──

ある日、とうとう琉晴は家出し、もとの斎木の家に戻ってしまう。慌てて追いかける良多。琉晴は凧揚げがしたくて戻ったのだった。琉晴を無事に帰宅させて寝かせた後、自分も昔家出したことがあった、と妻に打ち明ける良多。彼の家族も結構複雑で、父親は彼の母親と別れ、別の女性と再婚した。良多は今では継母に対しての愛情もあるが、子供のころはやはり実の母親に会いたくて、家出したのだった。また、良多は子供のころ、父親に遊んでもらった経験がほとんどなかった。だから子供に対してもどうやって遊んであげればいいのかよくわからないし、そもそも仕事で忙しい毎日だから子供とのことはどうしても後回しになってしまう。

双方の子供たちを交えて遊んでいるとき、良多は斎木に子供と過ごす時間が少なすぎる、と言われる。「自分にしかできない仕事があるから仕方がない」と言う良多に斎木はきっぱり言う。「子供と一緒にいる時間を作ることも父親の仕事で、父親にしかできない仕事。だって子供にとってはそのときしかない、どんどん大きくなるから」と。

そのアドバイスが効いたのか、良多は「凧揚げをしたい」という琉晴の願いを叶えるべく、マンションのベランダに出て、3人で凧揚げをする。キャンプのテントの室内に組み立て、そのなかで3人で寝る。キャンプのなかの星座表を見ながら、様々な星座を言い当てる3人。かなり良い雰囲気でこれから3人はやっていけるんじゃないか、と思えたとき、流れ星が流れ、琉晴はお祈りをした。「なにを祈ったの?」とみどりに聞かれた琉晴は「もとのパパとママのところに戻りたいと」と答え、それがみどりと良多の心を引き裂く。

こんなにしてあげても、やっぱりもとのパパとママがいいのか──という絶望。しかしそのころにはもう、みどりも良多も、琉晴のことが好きになりかけていた。

 

慶多に貸していたカメラを、なにげなく見ていたときだった。良多は、自分が仕事をしている後姿や、寝ている姿など、多数の写真をいつの間にか慶多に撮られていたことを知る。慶多は、父親に構ってもらえない淋しさを抱きながらも、それでも父親が大好きで、写真に収めていた。それを見たとき、良多の目には涙が。思わず慶多に会いたくなってしまい、会いにいってしまう。もちろんみどりも琉晴も一緒だ。慶多に対して、「今まで自分は良い父親じゃなかった。これからだ」と言う良多。

良多と慶多、そしてみどりと琉晴は、そろって斎木の電器店に入る。そこでエンドクレジット。え、これで終わり?という気がした。まあ常識的に考えれば、その後良多夫婦は最終的には実子である琉晴を引き取り、斎木夫婦は慶多を引き取る、ということになるんだろうけど。それにしても曖昧な、「なんとなくいい感じ」にしてしまう結末には不満が残る。「血」を選ぶのか「情」を選ぶのか──観客が一番知りたかったのは、そこなんじゃないだろうか。いったんは「血」を選んだものの、やはり「情」にも振り回されてしまう。それは人間だから仕方ない。だけど苦渋の思いでどちらかを選ばなければならないはずだ。

けれども、映画のテーマは、良多がいかにして「父」という自覚を持ち、子供と接することを通して人間として成長していくか、ということを描きたかったのかもしれない。それは確かに成功している。