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ヒトガタ

グリングの昔の芝居で、『ヒトガタ』というのがあった。ストーリーは忘れてしまったのだけど、タイトルの意味は覚えている。どもりの男が、ある言葉を言うときにどもってしまうから、どもらずに言える別の言葉に置き換えてしゃべる。そうすると、本来言いたかった言葉とは違う意味になってしまう。たとえば「にんぎょう」と言いたいときに、「にんぎょう」と言おうとするとどもってしまうため、どもらずに言える「ひとがた」という言葉に置き換える。しかし「にんぎょう」と「ひとがた」では、漢字は一緒だけれど、意味合いがまるで違ってしまう。そのどもりの男の、言いたいことがうまく言えない、伝えられない、というジレンマ。それがタイトルになっている。

私はどもりはないけれど、田舎の訛りがある。標準語のイントネーションがよくわからないのだ。普段友人などと話しているときは意識しないのだが、いったん意識しはじめるともうダメだ。この言葉のイントネーションはどうだっけ?と意識してしまうと、もうその言葉を言えなくなってしまう。それで似たような意味の別の言葉に置き換えて話す。そうすると本来言いたかった意味とは微妙に違ってしまう。

同じことは外国語を話すときにも言えるだろう。あることを言いたいのにその外国語が出てこなくて、似たような意味の別の外国語に置き換えて話してしまった……という経験は、誰にでもあるのではないだろうか。

今通っている英会話スクールでも、そんな場面が多々ある。レベルは低いものの、授業はすごくテンポが速いので、英語で質問されたことに対してとっさに答えなくてはならない。そうなるとかえって焦ってしまって、落ち着いて考えればわかる単語さえ出てこなくなってしまう。それで、似たような意味のもっと簡単な英語に置き換えて話す。これはまだいいほうで、ひどいときになると、その似たような意味の英語さえ思いつかず、質問に対する答えそのものを変えてしまう。たとえば「昨日なにしてた?」という質問に対し、「芝居を観に行った」と言いたいのに単語が思い浮かばず、とっさに「友人とレストランに行った」と答えてしまう。それって「あなたは昨日なにしてた?」という質問に対して嘘の答えをしている、ということにならないだろうか。たかが英語の練習くらいで大げさな、という感じだけれど、なんかもやもやしてしまうのだ。さらに、もっとひどいときには、その質問に対する日本語の答えすら思い浮かばないときがある。「昨日なにしてた?」と聞かれ、一瞬「あれ?昨日なにしてたっけ?」と頭が真っ白になってしまう。それでとっさに「レストランに行った」と答えるのだけど、後で考えると「いや、レストランじゃなくて芝居観に行ったんだよな……」となる。今日も、「いつも何時にお風呂に入っている?」と聞かれて、「あれ?何時だっけ?」となり、とっさに「twelve o’clock」と答えたら、「late!」と言われてしまった。確かに12時になんて入ってない。けれど、毎日決まった時間にお風呂に入るわけじゃないし、そんな質問されても困るなあ、と思うけれど、単なる英語の練習なのだから、考えすぎ、だよなあ……。

だが、こういうシーンって、普段の日常生活にも結構ある。ぼんやりしているときにいきなりなにか質問されると、とっさに頭が回らず、適当に答えてしまったり。私が頭の回転が悪いだけなのかなあ。

ぼんやりしてるときじゃなくても、言いたいことに対する言葉が見つからず、似たような言葉を駆使してあれこれ話しても、核心となる言葉にはなかなか辿り着けずに、相手にうまく伝わらなかったりする。それは話し言葉じゃなくて書き言葉でもそうだ。私の語彙力が足りないだけなのかもしれないけれど。なんかもやもやする。自分の頭のなかにあるイメージを、ぴたりと合う言葉で表現する、というのは案外難しい。作家になるような人は、そういう訓練ができているんだろうな。

言葉によるコミュニケーションって、難しいし面倒だ。言葉で「愛してる」ということを伝えたい場合、ストレートに言ったら相手が引くかもしれないから、あれこれ似たような言葉を言ったりする。けれど、本当はそんなの全部飛ばして、相手に抱きつけばそれでいいんじゃないか、とも思うけれど、でも言葉はやっぱり大事。うまく伝わらなくても、伝えようと努力して、貧しい語彙のなかからなんとか言いたい言葉を引っ張り出す。人間は言葉を持っているのだから。