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うつし世はゆめ

旅行記ほか、日常生活で感じたことなどを徒然と。

シャドウ

人間は起きて5分経つと、見ていた夢の95%を忘れてしまうという。私は毎晩枕元にノートとシャーペンを置いて寝て、起きたらすぐ見た夢を記録するようにしているが、書いているそばからどんどん夢が薄れていき、もう思い出せなくなっている。ぼんやりとしたイメージはあるのだが、それは言葉にならないし、意識がはっきりしてくればくるほど遠ざかっていく。起きてすぐというのは意識が朦朧としており(アラームで強制的に起こされているから)、ろくに手も動かせない状態なので、日記の文字は乱れまくって、読み返すとき解読するのに時間がかかる。もちろん後で読み返してもその夢の内容などまったく覚えておらず、「こんな夢を見たのか」と驚いている。

明確なストーリーのある夢というのはほとんど見ず、断片的なシーンの連続でしかない。朝起きて記録するとき、その断片的なイメージを必死で追い求める。うまく掴まえて記録できる日もあれば、まったく掴まえられず、ぼんやりとしたイメージはあるのになにひとつ言葉にできないというもやもやした感じを抱えつつ、一言も書かないでノートを閉じる日もある。

昨夜は久しぶりにストーリーのある夢を見て、ひどく不安にかられてしまった。眠っていると背後から幽霊に襲われる夢だ。私は必死で「すみませんでした、すみませんでした、私が悪かったのです、すみませんでした」と叫んでいる。そこで目が覚めたので、たぶん本当に言っていたのだと思う。今の私の不安な心境が現れたものだと思われる。

昔は夢占いとか夢分析に熱中していたが、しょせん占いは占いで、当たっていても当たっていなくてもたいして意味はない。夢占いの場合、だいたいいい夢というのは逆夢で、現実には悪いことが起こる……という結果になることが多く、せっかくいい夢を見ても楽しいどころか不安になるばかりである。見た夢のキーワードを夢辞典と照らし合わせても、夢辞典というのはだいたい悪いことしか書いてないものだ。悪いことが起こるのを想定して気をつけて行動しろ、ということなのだろうけど、気をつけていようがいまいが悪いことというのは起こるべくして起こるし、「夢占いのとおりだった」と後になって思ったところで、現実が変わるわけではない。だからあまり意味がない。もちろん正夢など意味のある夢を見る人もいるけれど、私自身はまったくといっていいほどそういう意味のありそうな夢は見ない。そもそも夢というのはそんなご大層な意味なんてなく、ただ昼間得た情報を頭のなかで整理しているだけだという説もある。

夢日記を毎日つけていると夢をたくさん見るようになり、その夢をきちんと覚えていられるようになる、となにかで読んで、それを信じていたが、何年も夢日記をつけていてもそんなことはまったくない。まあ単純に、自分で書いたはずの夢日記なのに、まったく自分の記憶にない、ということ自体が面白いだけだ。それは確かに私なのだけど、意識が明確なときの私ではない。シャドウだ。

シャドウ、という名の夢を記録するアプリが開発中なのだとか。段階的に少しずつ意識を覚醒させていくという高度なアラーム機能がついている。まだ覚醒しきっていない、かといって眠ってもいない半醒半睡状態から徐々に覚醒していく。その半醒半睡状態のときに夢を記録する。その状態が一番夢を覚えていられるからだ。夢の記録は音声入力でできる。スマホに夢を語るだけでいい。書き起こされた夢は、夢に出てきたキーワードをもとにイメージ画像がつけられ、ストーリー化される。そのデジタル夢日記の記録が日々更新されていく。しかも見た夢を他人と共有できる機能がある。いわば世界中の夢のデータベースが構築されるのだ。こうして日常の記録をブログに記すような気軽さで、極めて個人的なはずの夢すら他人と共有してしまおうという時代。そこではもはや夢は個人のものではなく、潜在意識の集合体にすぎない。自分にとってどんなに意味のある夢であっても、ただのデータとして処理される。まあそういうのに参加してみるのも面白そうだが、すぐに飽きそうな気もする。だって夢の記録は自分ひとりしか解読できないようにひっそり書かれるのがいいのであり、自分ひとりで自分が見た夢の世界に浸って妄想してるほうがずっとエキサイティングだから。