うつし世はゆめ

旅行記ほか、日常生活で感じたことなどを徒然と。

なにもない日

2~3週間に一回くらい、とにかくなにもしたくない、家を出たくない、誰とも会いたくない、という日がある。今日がそんな日だった。

そんな日はできるだけ遅くまで寝ている。昼近くになって、もうこれ以上は寝られない、となってからやっとベッドから這い出てきて、風呂を沸かしてゆっくり浸かる。風呂から上がったら、冷凍庫から冷えたグラスを取り出し、ビールを注いで一気に飲む。自堕落な一日のはじまりだ。

朝食兼昼食を済ませると、また横になる。ビールを飲んでお腹いっぱいになっているので、運が良ければ再び眠りにつくことができる。そうやってうつらうつらとし、起きてはネットしたり本を読んだり録画したドラマを観たり、およそなんの生産性もないことをやって午後をやりすごす。

夕方になり、日が陰ってくると、後悔が押し寄せてくる。また一日を無駄にしてしまった、どこかへ出かければよかった、という後悔だ。これも毎度のことだ。

今まで、嫌になるほどこういう日を繰り返してきた。その都度後悔に襲われるとわかっているのに、体が動かない。

そもそも、休みの日になんの予定も入れていない、というのがいけない。

出かける気力がなかったり、支度をするのが面倒くさい、ということはざらにある。それでも予定が入っていれば多少無理をしてでも支度をして家を出る。家を出てしまえばこっちのものだ。たとえ出先でつまらない思いをしたとしても、家に籠って悶々としているよりは余程ましというものだ。

休みの日は、多少無理をしてでも出かける予定を入れたほうがいい。疲れているから、家でゆっくりしよう・・・なんて考えてはいけない。家でごろごろするのは精神的にダメージがある。気持ちが落ち込んでいるときは外出する気になれないものだが、そういうときこそ多少無理をして外出すれば気分転換になるし、なにより「外出できた」という達成感がある。

別に遠くへ行かなくてもいい。家の近所を散歩するだけでもいいのだ。とにかく日中に外へ出て、太陽の光を浴びることが大切だ。

ささやかなものでも、「外出」というポイントを一日のどこかに取り入れるだけで、生活は変わる。

外出じゃなくても、自分のなかでなにか生産的なことをやること。仕事でも書きものでも、本を一冊読破するでも、DVDで映画を一本観るでも、なんでもいい。とにかく「今日はこれをやった」といえることがあること。

そういうものがなにもない日がある。今日がそうだ。

だけど、まあ、いいや。

ご飯はおいしく食べたし、お風呂にも入った。洗濯もした。一日、何事もなく無事に生きられた。それで十分ではないか?

なにもない日。平和な一日が終わった。