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真夜中の弥次さん喜多さん

こまばアゴラ劇場にて、KUDAN Project真夜中の弥次さん喜多さん』を観る。

しりあがり寿原作の漫画を舞台化したもので、天野天街が脚本・演出を担当。初演は2002年。

私は今回が初見だが、KUDAN Projectの作品は『美藝公』を観ている。それも小熊ヒデジと寺十吾による二人芝居で、めちゃくちゃ濃くて面白かったのを覚えている。

 

弥次さんと喜多さんは、どこかわからない宿に泊まっている。お伊勢参りに行くはずだったが、雨が降り続いており、足止めをくって何日も経ってしまった。二人で部屋にいるうちに、次第にここがどこなのか、今がいつなのかわからなくなっていき、旅に出たことすら忘れてしまう。夢なのか現実なのか幻覚なのかよくわからないモヤッとした時間がループする。どうせ時間が戻るのなら死後の世界を見てみたいと「死んで」みたりもする二人。「同じことを繰り返している」と気づいた二人は元に戻って先へ進もうとするが、なぜかなにをやってもまた振り出しに戻ってしまい、全然先へ進まない。

同じシーン、同じ台詞が何度も繰り返されるのだが、繰り返されるごとに微妙に変わっている。それがますます時間と空間を曖昧にする。あるはずのものがなかったり、目には見えないものが存在していたり。舞台全面に被さる映像と演劇的仕掛けが駆使され、観ているほうも夢か現かわからない世界を彷徨うことになる。

特に印象的だったのはうどんのシーン。喜多さんが出前をとったうどんは、喜多さんの目には見えているのだが、弥次さんには見えない。喜多さんが見えないうどんを食べているのを見て、弥次さんは苛立ち、どこにうどんがあるんだ、と言う。すると喜多さんは、「おまえには見えないのか?じゃあこれは見えるか?」と、目の前にあるものを指す。障子、畳、壁。だが、壁があるはずのところは舞台と客席の境目なので、実際には壁はない。そして、天井があるはずのところには、たくさんの照明がぶら下がっている。演劇の虚構と、現実の世界が溶け合っていく。照明を指して「これは、しようめいだ」と喜多さんが言うと、「しおうめ」が上から落ちてくる──。弥次さんは障子に空いている穴が動く、そこからうどんが出てくる、と言う。喜多さんには弥次さんの姿が見えなくなり、探していると、偽物の弥次さんが現れ、一緒にうどんを食べる。本物の弥次さんがなにを言っても喜多さんには聞こえていないようだ。

二度目のシーンでは、実際にうどんが出てくる。喜多さんはおいしそうにそれを食べる。だが、弥次さんにはやはりそれは見えない。二人のやりとりのなかで、「ここに壁がある」と言う弥次さんに対し、「たくさんの首が見える。その首は全部こちらを見ている」と言う喜多さん。障子に空いている穴が動いてそこから太くて長いうどんが出てくる。弥次さんはそれをどこまでも引っ張り、ぐんぐん伸びて、反対側の袖にはけてしまう。慌てて弥次さんを探す喜多さん。

 

ずっとそんなことを繰り返しながら、二人は夢のような幻覚のような時間を過ごす。どこまでが夢でどこからが現実なのかも、これがどちらかの幻覚なのかもわからない。時間の感覚も場所の感覚もなくし、目的もなくした二人。包丁を持った喜多さんは弥次さんに「奥さんと切れるか、おれと一緒に死ぬか」を迫ったりする。そう、恋人同士である二人だが、弥次さんには奥さんがいるのだ。奥さんとは切れたから、なにも二人で死ぬことはない、と言う弥次さん。最後にはなにもわからなくなって、「おめぇがおれで、おれがおめぇで」という状態になり、二人は溶け合ってしまい、実際に手と手がくっついて離れなくなってしまう。長い手をくっつけながら舞台を回る二人。泣きそうになりながらそのシーンを観た。二人っきりでこの世にいることの孤独。そうだ、この二人は、最初から最後まで、ずっと二人だけだったのだ。そこは二人だけの世界であり、他者が存在しない。だからこそ二人で夢と幻覚の世界に迷い込んでしまったのだ。他者を排して二人だけでいればいるほどなぜか孤独は募っていくものだ。二人でいるということの孤独を畏れ、いっそ相手と溶け合ってしまいたいという激しく切ない想いに駆られる。けれど、溶け合ってしまうということは自分という存在が消えてしまうということだ。だからその想いは病的なものだ。にも関わらずそれは甘美で、惹きこまれる。毒だとわかっているのに吸い寄せられるようにそちらへ行ってしまう。この舞台はそんな危険で誘惑的な死の匂いを孕んでいる。けれど、舞台上の役者二人は、生きて動いている。何度死んでもまた振り出しに戻るし、同じシーンを繰り返すうちに役者の体は汗だくになる。そして、舞台が終われば、弥次さんと喜多さんではなく、寺十吾と小熊ヒデジとしてカーテンコールに登場するのだ。死の世界から現実世界へ。虚構からリヤルへ。だが、死も虚構も、リヤルのなかに確かに存在する。