うつし世はゆめ

旅行記ほか、日常生活で感じたことなどを徒然と。

エレガントな飲み方

「なんだか、飲み方が随分エレガントになったねぇ」

10年ぶりに会った友人が、開口一番そう言った。

そのとき私は、席につくやいなや頼んだ白ホッピーをグラスに入れてかき混ぜているところだった。店に着くなりホッピーセットを注文して飲む、というのが、はたして「エレガントな飲み方」なのか?と思ったが、友人が言っているのはそういうことではない、とすぐにわかった。

 

 

10年前、私は派遣社員としてある会社に勤務していた。仕事はオペレーション業務。自分が目指していたものとはまったくかけ離れた仕事だったし、ルーティンワークがひたすら続く毎日は退屈だったが、当時はほかに仕事がなかった。私は毎日朝9時から夜18時まで働いた。

その会社は、フロアにいる20数人のほとんどが派遣社員だった。派遣会社はバラバラで、時給も派遣会社によって違う。けれど、皆仕事に退屈さを感じているという点では一緒だった。

最初のうち、私は誰とも特に親しくならなかった。仕事帰りに誰かと飲みに行くこともなかったし、ランチも一人だった。

だが、あるときたまたまあった飲み会で、仲間が見つかった。自分と同じような酒の飲み方をする人に出会ったのだ。

その後、その人と仕事帰りに頻繁に飲みに行くようになった。

彼はとにかく酒に強く、日本酒を二人で一升空けたこともあった。会社近くの店で浴びるように飲み、それでもまだ飲み足らず、電車で新宿まで出てゴールデン街で飲み直したこともあった。

そのうち、会社のほかの人たちも誘って飲みに行くようになり、飲み仲間がどんどん増えていった。

当時の私は、かなりめちゃくちゃな飲み方をしていた。酔って記憶をなくすのは日常茶飯事。ほかの人に絡んだり、ちょっと可愛い女の子がいるとセクハラまがいのことをしてみたり。飲んでいたはずなのに気がついたら朝で、まったく記憶がないながらもいつの間にか家に帰って寝ていて、バッグを探ったら財布がなくなっていた……なんてこともあった。とにかく、飲み始めるとドロドロになるまで飲まなければ気が済まなかった。

仕事はつまらなかったが、彼らと飲み歩くのはとても楽しかった。

 

 

会社を辞めた後、彼らとの連絡は途絶えた。

よく飲んでいた彼は、数年後に中国へ渡って仕事を始めた。私もまた、自分の道を歩き出していた。

もう一生彼らと会うことはないんだろうと思っていた。だが、突然、Facebookを通じて中国へ行っていた彼から連絡が入った。帰国するから10年ぶりに会おうという。

もう一人、同じ会社で彼と仲が良かった友人も交え、3人で10年ぶりの再会をはたした。

 

 

10年といったら結構な歳月である。一体2人ともどんなに変わっていることだろう……。

だが、店で向かい合った瞬間、10年前にタイムスリップしてしまった。10年ものブランクがあったとは思えないくらい、私たちは昔のように笑い、語った。

2人とも、姿形もさほど変わっていなかったが、なにより表情や仕草、口癖などが、昔のままなのだ。

ああそうだ、この人はこんな笑い方をした。こんなふうにしゃべった。これが口癖だった。こういう腕の組み方をしていた。10年前とまったく変わらない姿がそこにはあった。恐らく私もそうだったことだろう。

外見が多少変わったとしても、その人の仕草だったり雰囲気だったり、そういうものは10年ぐらいじゃ変わらないのだ。その人をその人として記憶しているのは、姿形ではなく、ふとした仕草や表情だったりする。それに触れた瞬間、何年も会っていないのに、まるでつい昨日も一緒に飲んだかのような親密な空気が生まれる。人間同士って、なんて不思議なんだろう。

 

 

よく一緒に飲んでいた彼は、相変わらずの飲みっぷりで、ビール2杯に日本酒4合、さらにハイボールを飲んでいた。

一方で私はといえば、最近酒が翌日に残るようになってきたこともあり、ホッピーの外1本と焼酎ロックを2杯と、昔に比べるとかなり控えめだった。

彼は、当時私がどんなめちゃくちゃな飲み方をしていたか、ということを嬉々として語った。私が覚えていないような数々の失態。どの店でどの酒をどのくらい飲んだか。彼に言わせると、私の当時の飲み方はかなり「下品」だったという。ハイペースで日本酒を飲み、しばらくすると目が据わってくる。そこからが本番だ。ドロドロになるまで「とことん」飲んで、周りの人が引くくらい酔っ払ってみせる。それが私だ、という。そういう私の姿を見て引く人もいたけれど、彼はかなり面白がっていたようだ。確かに、女性で私のような飲み方をする人は稀だと思う。自分と同じペースで酒を飲み、正体不明になるほど酔っ払う私の姿を見て、彼は楽しんでいたという。

 

 

年のせいなのか、多少は分別がついたということなのか、今の私はそこまでめちゃくちゃな飲み方をすることはなくなった。今の私の「エレガントな飲み方」を目の当たりにして、彼はもしかしたら少し残念に思ったのかもしれない。

彼は言う。「酒は酔っ払うまで飲まないと楽しくない」。

確かに、付き合い程度にサワーなんかを23杯だけ飲む、という飲み方は、いかにもつまらない。昔の私のような、豪快に飲んでドロドロに酔っ払う、という飲み方は、不快に思う人がいる一方で、彼のように面白がる人もいるのだ。

どんなに酔っ払おうと、記憶をなくそうと、それが私なのだから、開き直ればいい、とも彼は言っていた。

なるほど。これからは、飲んで醜態を晒しても、「いや、それが私なんで」と開き直ることにしよう。

しかし、もうそこまでズブズブには飲めない。やっぱり10年前とは違うのだ。今の私が10年前と同じ飲み方をしようとしても、たぶんできない。意識はしていないし、むしろもっと飲みたいと思っているのに、年をとるごとに「エレガントな飲み方」になっていくのは、仕方がないことなんだ、きっと。

というか、10年前の私がそれだけ飲んでいたのは、一緒に「とことん」飲める彼という相手がいたからなんじゃないだろうか。どんなに酔っ払っても平気な相手が。

10年前の酒の記憶はだいぶ曖昧だ。だけど楽しかった時間は本物だ。